小諸・山頭火の日
本日5月19日は「小諸・山頭火の日」です。山頭火とは俳人の種田山頭火さんのこと。そして小諸とは長野県小諸市のことのようです。その小諸市の中棚荘(当時は中棚鉱泉)に種田山頭火が宿泊をした際、その日の日記に「熱い湯に入れて酒が飲めるのがいい」と記載したことから、中棚荘が制定したとのこと。
種田山頭火とは
本名は種田正一。1882年12月3日に山口県に生まれました。俳名の「山頭火」とは、納音(なっちん)の一つ。いやぁ、難しい。納音とは、
六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用して、木・火・土・金・水の五行に分類し、さらに形容詞を付けて30に分類したもの。生れ年の納音によってその人の運命を判断する。
だそう。まぁ・・詳しくはこちらに。
ただ、山頭火こと正一さんの生まれ年の納音は「楊柳木」なのですが、字面と意味が気に入ったとのことで「山頭火」にしたそうですよ。なので、見栄え重視であまり意味はない感じですね。
種田正一さんが、俳句を始めたのは15歳前後だそう、そして、19歳になると早稲田大学の前身である私立東京専門学校の高等予科に入学します。予科を卒業し大学部に進学するも神経衰弱のため中退、実家へ帰ることに。29歳の時に地元の文芸誌「青年」が創刊、「田螺公」という旧号で定形俳句を発表。同じ頃「山頭火」の号で外国文学の翻訳も始めます。31歳からは俳号にも「山頭火」を使うようになり、 荻原井泉水が主宰する『層雲』でも頭角をあらわします。
しかしその後は、実家の酒造場が破産に追い込まれたり、古書店や額縁点を開業するもうまくいかず、生活は荒み、さらに弟が自殺する事件が起き、山頭火は酒に逃げるようになったそうです。さらに、妻子を残したまま上京しますが(その後に離婚)、関東大震災に遭い家へ戻るなど、苦労の日々は続きます。
さらにさらに、、泥酔して熊本市内で路面電車を止めた時に(なんて人でしょう・・)知り合いの記者に助けられて、なぜかお寺に預けられ寺男に。得度して「耕畝」と改名しますが43歳になると寺を出て西日本を中心に旅を始めるのです。こうして「山頭火」としての投句の活動は続けるようになったそうです。54歳までに、長野県佐久までを歩き、数々の作品を残したそうなので、今日のこの日を制定するきっかけになった小諸市の中棚荘に来たのはこの頃でしょうか?
そして、1940年10月11日に脳溢血のため生涯を閉じました。享年58歳でありました。
3年B組貫八先生ー!
って覚えていますか?『3年B組金八先生』の姉妹編、1982年に放送された川谷拓三さん主演の学園ドラマです。この貫八先生こと、川谷拓三さん演じる神崎貫八さんが愛してやまないのが、種田山頭火だったんです。へー!授業中に山頭火の句を引用して生徒に指導していたそうですよ。いやぁ、覚えてないなぁ。。残念。
そんなこんなで、本日5月19日の誕生日は俳優の神木隆之介さん。貫八先生ではないですが、学生つながりってことで、最近は「意識高すぎ!高杉くん」ってauのCMにも出演されていますよね。いやぁ、神木くん、今日で25歳ですか!大人になったなぁ、と同時に昔からよくテレビで活躍しているから、まだ25歳か!って驚きもありますね。
はい、というわけで今日は他にもこんな日で、昨年は「ボクシングの日」を紹介しましたよ。
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