電卓の日
1974年、日本の電卓生産量が年間1000万台を突破、そして国産電卓の発売から10年目の節目の年ということで、日本事務機械工業会(現在はビジネス機械・情報システム産業協会)が3月20日を「電卓の日」に制定しました。それで何で、3月20日が選ばれたかといえば・・・。何だか今までにないぼんやりとした理由で驚きです。
3月20日を選んだ理由が衝撃
日本初の国産電卓は1964年3月18日、シャープがオールトランジスタ電卓として「CS-10A」を発表したのが始まり(発売は6月だったそうですよ)。それからちょうど10年目の年だし、この日を電卓の日に!って事になりそうだったんですが「20日の方が覚えやすそうだし、3/20にしようぜ」ってことで、3月20日となったという・・・。何だそりゃ?ありなのか?そんなアナログっぽい理由でいいのか、と愕然としましたよ。ある意味すごいです。
日本初の電卓の価格に驚き
このシャープが発売した「CS-10A」当時は、535,000円もしたんですって。そ、そんなに高かったんだ。今では100円ショップでも手に入るくらいなのに、そう思うと技術の進歩って素晴らしい。その当時の50万だと、車も買えるくらいなんだって。新しい技術ってすごいよね。
国産第1号機はトランジスタ電卓。トランジスタは530個、ダイオードを2300個使って重量は25キロもあったそうです。うーん、当時は便利だったんでしょうけど、計算するくらいですよねぇ。すごいなぁ。コンピュータ博物館の資料によると、こんなスペックのようです。
技術の進歩で価格は下がる
その後は技術の発展とともに価格もどんどんと下がってきますよ。例えば、翌年のカシオ製だと38万円。さらに翌年の日本計算器販売製は、298,000円に。
60年代後半から70年代前半になると、トランジスタからICやLSIが主流になり、低コストで小型化の実現が可能になっていきます。1969年に発売したシャープの世界初LSI電卓「QT-8D」は99,800円。その2年後の1971年には立石電機(現在のオムロン)が5万円を切る機種を発売して「オムロンショック」とも呼ばれたんだそう。
まだまだ技術は上がり、価格は下がりますよ。翌年1972年には、カシオから12,800円の電卓が発売され、1975年には5,000円を切る金額に。なんと、国産電卓の発売から約10年で値段が1/100になるということに。ちょっと怖すぎます。そんな価格下落でメーカーは撤退や倒産を余儀なくされ、市場は淘汰されていきます。あー、怖い。
技術は落ち着き付加価値の競争へ
その後、70年代後半からは高付加価値化の方向に。より小型化・名刺サイズになったり、太陽電池のものができたり、電子ゲームができるようになったりと。さらに80年代には、辞書機能やカロリー計算機能がついたりしますよ。
90年代以降はいよいよPDA化へ、シャープのザウルスとかアップルのニュートンとか欲しかったなぁ。で、パソコンソフトの中にも電卓が入り、世の中携帯電話が普及していくと、電卓機能があるのが当たり前になって、今ではスマートフォンのアプリに。
多分、コンピューターの歴史ともよく似てる、というか、電子的な部分になってからはコンピューターと融合したというべきか。パソコンも昔はめちゃくちゃ高かったしね。僕も中学の時に父親にねだって買ってもらったPC88、今考えると凄い金額だったなぁ。大人になって買ったMACのメモリだけに30万以上は払ってるしなぁ・・。(遠い目)
PDAはちょっと別として、技術が落ち着くとどんどん付加価値をつけていくことって良いような悪いような、なんか日本のメーカーの悪い癖のような気がしますよね。必要ない人にとっては、ただ邪魔なだけのものだしね。説明書もどんどん分厚くなってくるし。そこいくと最近の海外製はシンプルな機能、シンプルなデザインが多いからオシャレに見えるし、使いやすかったりもするんでしょうね。あ、話がずれた。
3月20日はどんな日か
これからどんどんIT化が進んでいくと、pepperくんのようなロボットが普及して、将来的にはサイボーグ的なものが街を徘徊する世の中になっていくんでしょうかね。そんな近未来漫画「銃夢」を描いた木城ゆきと先生、本日が誕生日です。しかし、ラストはなかなかの衝撃だったなぁ、まさか脳みそがねぇ。
他にも、1951年には日本初のLPレコードが発売されたり、2006年にはICパスポートが導入された日であったりと、技術について何かと考えたくなる日だったりするんです。はい。
<B>
<SPONSORD LINK>
等身大フィギュアに囲まれてセレブ体験! マダム・タッソー東京
新品価格 |