10月25日は民間航空記念日


民間航空記念日

1951年のこの日、日本航空が東京~大阪~福岡便の一番機の運航を開始しました。戦後の日本はGHQ監視下のもと軍事技術の開発や保有を禁止された期間があり、模型飛行機ですら飛ばすことを禁止されたそうです。民間機の飛行開始は、戦後の日本が立ち上がっていく大きな一歩だったのではないでしょうか。

日本航空(今はJALです)は、民間の航空会社としては戦後最初に設立された会社とのことなので、民間航空記念日とされています。

JALの前身・日本航空の飛行機が飛ぶまで

日本航空株式会社の設立は戦前からなのかと思いきや、会社の設立も1951年なんだそうです。設立から最初の運航まで簡単にご紹介します。

1月17日、仮の事務所を契約。
5月22日、国内定期航空運送事業の営業免許を取得。
8月1日、日本航空(株)設立!
8月27日、フィリピン航空より飛行機を借りて招待飛行実施。
10月25日、戦後初の国内民間航空を営業開始。1番機マーチン202もく星号が飛びました。

1951年にGHQの監視が終了していたわけではありません。が、アメリカとロシアの冷戦も手伝い、Wikipediaさんによれば、

1月 マッカーサー、日本政府に再軍備の必要性を説く。

とあるため多少は軟化してはいたのでしょうか。それでも模型の飛行機さえ飛ばせなかった時代に、どうやって飛行機が飛べることになったのでしょう。

飛行機禁止の時代に飛行機を飛ばす方法

ググったところ、アメリカの航空会社であるNW(ノースウェスト)がカギになっているようでした。飛行機とパイロットを借りて日本で運航するということでNWと日本航空は10月21日に契約を締結。日本の飛行機、パイロットではないということで許可が下りたのでしょう、契約締結の4日後、10月25日に運航開始となったようです。きっと水面下でいろんなドラマがあったはず。。

今ではLCCも増えて、空の便もかなり選択肢が増えてきました。でも戦後の第一歩を踏み出したのは、日本航空であり、再び日本で飛行機を飛ばそうと立ち上がった人々がいたからなんですね。

読者に愛される作家が生まれた日

日本航空の最初の運航から13年経った1964年に、小説家の恩田陸さんが生まれました。最近だと『蜂蜜と遠雷』が直木賞に輝くなど、今までにも数々の賞を受賞されています。『蜂蜜と遠雷』はピアノコンクールの舞台裏を描いた作品で、話の中に登場する人物の演奏をイメージしてプロが演奏したCDも発売されています!聴いてみたい!ピアノは詳しくありませんけども!秋の夜長の読書に、CDを聴きながら読んでみてはいかがでしょう。
今日はほかにも、こんな日です。

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こちら↓は小説です。

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