お茶漬けの日
サラサラサラ、とあっという間に文章が書ければいいのにと。ああ、違う、つい心の声が。サラサラサラ、ときたらお茶漬けです。うちの朝ごはん、週に一度くらいはお茶漬けですよ。5月17日は「お茶漬けの日」です。株式会社永谷園が制定しました。
はて、5月17日の理由はなんでしょう?それは、永谷宗七郎(のちに永谷宗円)さんの偉業をたたえ、彼の命日である1778年5月17日からこの日に決めたそうです。ふーん、へぇー、誰ですか?永谷宗七郎さん。
誰でしょう?永谷宗七郎
永谷園の創業者かな?と思いましたが違ったようです。創業者のご先祖様で、煎茶の普及に大きな功績を残した方。今、僕たちがゴクゴク飲んでいる緑色の煎茶は彼がいたからこそ、美味しく飲めるようになったんですよ。なんと!
永谷宗七郎さんが生きていた時代の、1681年から1778年は江戸時代中期。その頃の庶民が飲むお茶は色は赤黒く味も粗末な煎じ茶だったそうです。で、宗七郎さん「もっと美味しいお茶を」ってことで、15年もの歳月をかけて製茶法を確立、緑の綺麗な煎茶を完成させたのです。この「青製煎茶製法」で作られたお茶は、瞬く間に評判となり、宗七郎さんの住んでいた宇治から名を取り「宇治の煎茶」は日本を代表するお茶になりました。
偉いのは、この製法を独占することなく、惜しみなく皆に伝えたこと。おかげで「宇治製煎茶」は日本中に広がっていきましたとさ。拍手。
では永谷園の創業者は?
そんな宗七郎さんが作り出したお茶を永谷家の人々は代々と販売。しかし、10代目の永谷嘉男さんの時代に太平洋戦争が起こり実家が消失してしまいます。嘉男さんは再建を目指し「江戸風味お茶づけ海苔」を開発販売。大ヒット商品を生み出しましたよ。すごいね、永谷家。
商品開発力もすごいですが、経営面でもアイデアマンだったようで1979年に「ぶらぶら社員制度」ってのをはじめて日本中の話題に。これは「2年間で結果を出すこと」を条件に(必ずヒットする新製品を出しやがれ!ってことですね、怖い。)経費も無制限、出社にしなくてよし、とびっくりするほど自由な制度。楽しそうでもありますが、なかなか死ぬほどのプレッシャーが掛かるドキドキする制度であります。ぶらぶらよりドキドキとか、ハラハラでしょうね、ホント。
しかし、この特命を受けた能登原隆史さんという企画部の社員。日本中、世界中を食べ歩き、2年後に大ヒット商品「麻婆春雨」を世に送り出します。素晴らしい!
「♫永谷園の麻婆春雨♩」和田アキ子が歌ってましたよねぇ。
5月17日の誕生日
本日の誕生日は、V6・イノッチこと井ノ原快彦さん。毎日朝のニュース番組お疲れ様です。忙しい朝の朝ごはん、我が家と同じくお茶漬けがオススメですよ。サラサラと。
他にも今日はこんな日でしたよ。
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