5月20日は電気自動車の日


電気自動車の日

「源蔵さんのシルクハット」の名で親しまれ、米国から輸入された電気自動車を株式会社GSユアサが復刻させたのが2009年の今日ということで、同社が記念日に制定しています。ちなみに輸入したのは1917年、車の名前はデトロイト号。特徴的な形がシルクハットに似ていることから「源蔵さんのシルクハット」とも呼ばれたようですが、え、源蔵さん誰?ってなりますよね。

明治時代は電気自動車が主流

個人的な感覚では、ガソリン車が主流で昔からあるもの、電気自動車は環境に配慮した新しいものというイメージでした。が、電気自動車のほうが先に発明されたようで、
1873年、英国で電気自動車が誕生、
1884年、ガソリン自動車が完成、
という順番です。その後、日本でも電気事業が盛んになってきたことから、「電気自動車ほしくね?」となったんでしょうね。1917年に日本電池(現GSユアサ)がデトロイト号5台を輸入し、うち2台は社長の通勤用と自宅用だったそうです。で、源蔵さんが誰なのか、なんとなく予想がついてきたでしょうか。日本電池の初代社長が、島津源蔵さんです!

島津源蔵さんは「日本のエジソン」

1869年に日本電池を創業した島津源蔵さんが生まれました。お父さんは島津製作所の創業者・島津源蔵さん。え、名前同じ!大混乱!日本電池の初代社長は、幼い頃は梅治郎さんだったそうです。お父さんが病に倒れた1894年に家督を継いで、襲名されたようです。歌舞伎役者は今も襲名しますけど、この時代はそうだったのかな?現在の社名にあるGSは島津源蔵という名前からきているようで、ご自身が開発された製品にもともとつけていたようです。この元・梅治郎さん、すごい発明家で
・国内初のエックス線写真撮影成功
・鉛蓄電池の開発
・易反応性鉛粉製造法の発明
など様々な功績を残されています。1946年には社長職を退き、デトロイト号も引退。1951年に亡くなるまで、たくさんの特許を出願していたそうです。

デトロイト号のその後

元・梅治郎さんの引退後もデトロイト号は大切に保管されており、近年の電気自動車ブームをうけて復刻プロジェクトが立ち上がって、2009年にデトロイト号がよみがえりました。展示するのではなく、ちゃんと走るんですよ。当時を知る方がいらっしゃったかはわかりませんが、かつてのように走る姿はちょっと感動的ですね。復刻したデトロイト号は、広告塔として今後も活躍していくそうです。どこかで見かけることもあるかもしれませんね。

今日の誕生日は「いのちの詩人」

今日は相田みつをさんが誕生日です。中学校の時に相田みつをファンの先生がいて、教室にカレンダーがかかっていたので、その先生が担任だった1年間は毎日相田みつをさんの詩とともに過ごしました。デトロイト号の復刻、相田みつをさんなら何と紹介されるでしょうね。
今日はほかにもこんな日です。

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にんげんだもの


5月19日はボクシングの日


ボクシングの日

ワンツー・ボスッ!はい、本日5月19日は「ボクシングの日」です。1952年5月19日に白井義男さんが日本人として初めてのボクシング世界王者になったのを記念して、日本プロボクシング協会が制定しましたよ。第二次世界大戦の終戦のショックに沈む日本人に希望の光を灯したと言われています。

白井義男さんってどんな人?

白井義男さんは1923年生まれ、東京都(当時は東京市)荒川区出身のプロボクサー。小学6年生の時、夜祭りに行った時に余興で行ったカンガルーとの試合に負けてボクシングにのめり込んだそうです。え?これウィキペディア情報ですが、カンガルーとの試合を夜祭りでやってたの?すげーな、昭和初期の夜祭りは。
プロデビューは1943年、太平洋戦争の真っ只中です。成績は素晴らしくデビュー以来8戦全勝、しかし、時代も時代、召集されて海軍へ。整備士として終戦を迎えたそうです。とはいえ、全然に駆り出されなくてよかったですね。
復帰後は海軍時代の整備士としての仕事が激しかったのか、腰痛となり引退寸前に追い込まれたとか。わかりますよ、腰の痛みは、僕も結構なガラスの腰ですからね。

世界フライ級王座へ

しかし、運命は彼を見捨てなかったんですね。その頃にジムに出入りをしていたアルビン・R・カーン氏に見出され、彼の全面的な支援によって白井さんの才能は開花していきます。このカーン氏、GHQ職員で生物学者だそう。まさに昨日の敵は今日の友、ってやつですよね。カーン氏はボクシングの経験はなかったものの、博士としての専門的な知識を活かした科学的トレーニングを白井さんに施していきます。
そして防御中心の「打たせないで打つ」テクニカルなスタイルに矯正した白井さんは、日本フライ級王座、日本バンタム級王座、を獲得。ついに、1952年5月19日に世界フライ級王座に挑戦をするのです。そして、15回を戦い抜き判定勝ちで王座を獲得したのでした。

5月19日の誕生日は

さて、ボクシングつながりってことで、5月19日の誕生日は俳優の安藤政信さんです。彼のデビュー作は言わずと知れた「キッズ・リターン」世界の北野武監督作品です。作品では素晴らしい演技でこの年の映画賞を総なめにしました。今でも存在感すごいですよねえ。
「キッズ・リターン」の最後の試合のシーン、安藤さんがダウンする場面があるのですが、あれは演技ではなく本当にダウンしたそう。その時に鼻が曲がってしまって、ショックで泣いてしまったとか。まぁ、そりゃショックだわ。
他にも、俳優の神木隆之介さん、ハライチの澤部佑さんも誕生日。あ、女子プロゴルファーの松森彩夏さんもですよ。今週は「中京テレビ・ブリヂストンレディス」がんばれー!
他にも今日はこんな日でしたよ。

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5月18日は18リットル缶の日


18リットル缶の日

今日は「5(5月)ガロンから18(18日)リットル缶へ」統一されたことを記念に全国18リットル缶工業組合連合会が制定した記念日です。世の中にはいろんな組合がある・・!18リットル缶は以前は5ガロン缶と呼ばれていたんですね。あ、日本記念日協会にも認定されていますよ。

国によっても違う「ガロン」

ガロンとは液体の体積を表す単位で、リットル換算するとこのくらいです。
英国・カナダでは1ガロン=約4.546リットル<
米国では1ガロン=約3.785リットル
国で違うって不便!貿易したら問題になるパターンですよ。ヘイ、ユー!1ガロンっていったのに少ないじゃないか!みたいな。いや、そもそも5ガロン缶が主流だとしたら、英国・カナダと米国の5ガロン缶はけっこう大きさが違いますよね。そこんとこ、どうしていたんだろう。液体のやり取りはなかったのかなぁ。ちなみに日本は、米国と同じガロンだったそうです。

なぜ5ガロン缶だったのか

5ガロン缶と呼ばれる前は、一斗缶だったそうです。量が一斗だったから。その前は、石油缶と呼ばれていました。が、そもそも一斗缶だったのはなぜでしょう。もっと大きい缶のほうが、一度にたくさん運べるのでは。製造の限界?いろいろ考えましたが、理由は単純で人が持ち運べる最大数だからのようです。それ以上持てる人もいるかもしれませんが、まぁ平均値ってことでしょうね。たくさん持てるぞーって方は、ぜひ18リットル缶を積み上げてください。大丈夫です、スチールで丈夫なので10段以上積み重ねOKですからー!力持ちアピールにぜひ。やらないか。

リットルという単位が生まれたのはいつ?

どこを最初とするか難しいところですが。リットルという言葉は、1795年にあったようです。でも今とちょっと数値が違ったのかな?そこから紆余曲折を経て・・・(すみません、調べたけどカタカナ多くて難しかったです)、1964年に今のリットルという単位になったようです。日本の一斗缶が5ガロン缶と呼ばれるようになったのはどうやら戦後のようで、だから米国の影響を受けたんですね。で、徐々にリットル換算する企業も出てきて大混乱に陥ったんでしょうね。。単位の統一って大事ですよね。そこが食い違って伝わらないとイライラしそうですよね。組合の中で相談して統一されたんでしょうかねぇ。何にしろ、世の中からイライラが1つでも減って何よりです。

今日の誕生日はパルムの方

パルムって、棒つきアイスのことです。渋い俳優さん、誰だかお分かりですか?今日は、寺尾聡さんが誕生日です。最初にCMをみたとき「なんで?なんで敢えて、その年代の俳優さん?なんで寺尾聡さん?誰向けの商品?」とナンデ?だらけでしたが、まんまと記憶に残っています。ドラマではダンディーな役柄が多いのに、パルムを美味しそうに頬張る姿がなんとも気になってみてしまうんですよね。こちらも世の中からイライラが1つ減りそうなCM、もとい商品ですね。
今日はほかにもこんな日です。

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埼玉の名産☆おまかせこわれ草加せんべい 2kg(一斗缶) [訳あり] ab