富士山測候所記念日
真冬の富士山登頂、良い子は真似しないでください。プロでも危険だそうですよ、通常は真夏にしか登頂できませんからね!1895年の今日は、かつて富士山山頂にあった測候所の開設日だそうです。これは国の機関とか大学の施設とかではなく、野中到さんという方が私財で建てた「野中測候所」です。えっと、何がどうなって自分で建てちゃったんでしょう?
気象学者・野中到の行動力
もともと気象に興味の強かった野中さん。1800年代後半の日本ではまだ高山での観測は信州のみだったそうで、「そうだ、富士山なら日本で一番高いし気象観測できたらいいよね」と考え、思い立ったが吉日とばかりに通っていた大学を中退。Wikipediaなどを参考に動きをまとめてみましょう。
1889年、現・東京大学を中退。
同年、ひと月ほど富士山で気象観測。
1892年、結婚。
1895年2月、冬の富士山に登頂。
8月30日、私財で富士山山頂に約6坪の小屋新設。
9月、食糧調達のため下山。
10月、山頂で観測開始。2時間起きに気象観測。
10月半ばに妻も合流。え、妻!
12月22、慰問に訪れた弟らにより、夫妻の体調不良が発覚し下山。
下山する頃にはもはや高山病と栄養失調で歩ける状態ではなかったらしく、真冬の富士山という厳しい環境から“救助”されたそうです。妻がとめるどころか一緒に登頂したのも、真冬に弟が登頂したのも驚きです。富士山って、素人は真夏しか登山できませんよ!
命がけで気象観測を強行したのは何故か
野中夫妻は結局、越冬できずに下山せざるをえない状況でしたが、1899年には富士観象会を設立して観測継続のための資金を募り、とうとう中央気象台が動くことになりました。今では衛星で最新状況が把握できますが、当時はデータの蓄積と分析でしか気象予測ができなかった時代です。で、「高山で通年観測できたら、気象予測に役立つよねきっと!」ってことで、未来のために命がけで動いたのが野中さんでした。富士山山頂での気象観測は政府に引き継がれて2004年まで続き、今は無人化されているそうです。こういう方を「気骨のある人」と呼ぶのでしょうね!
漫画家の誕生日
今日は漫画家の羽海野チカさんが誕生日です。代表作『ハチミツとクローバー』、命がけで芸術作品を作ろうとする美大生たちが描かれていますよ。好きだったなぁ。今日はほかにもこんな日です。
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野中夫妻を題材にした小説ですよ。読んでみようかな。ドラマ化もされています。