5月11日は朔太郎忌


朔太郎忌

本日5月11日は「朔太郎忌」でございます。朔太郎とはもちろん「日本近代詩の父」と称される萩原朔太郎さんのこと。1942年の本日5月11日に他界したことで、本日が記念日に。

萩原朔太郎という人

朔太郎という名前は、長男で朔日(ついたち)生まれだということで命名されました。これ「ついたち」って読むんですね。勉強になりましたよ、改めて。
そんな朔太郎少年、小学生のころから病弱で神経質だったそうで「学校では除け者にされて敵意を持たれている」と感じ、いつも一人でいたそうな。寂しい子ですけど、そんな環境だったからこそ(というか、自分でそんな環境に仕立てている性格でもある気がしますけどね)詩人としての独創的な感情の表現ができるようになったのかもですね。
中学に入学すると、従兄弟に短歌を教わるように。学校に行くと嘘を言って、野原や森を歩き回っていたそう。そんな風にして考えを深めていったんでしょうか、次々と作品を生み出していきます。しかし、学校へ行かないのではねぇ、そんなこんなで、中学は落第してしまうんです。その後、浪人して高校へ入学するも落第。別の高校に転入するもまたしても落第、退学。など、学業に関しては残念な経歴を残しているんですよね、これが。

ただし、その分人生経験が豊富になったんでしょうか? 1913年に雑誌に詩を発表、そこから詩人としての人生が始まります。その頃、室生犀星と知り合い生涯の友に。室生犀星さんについては「犀星忌」で書きましたよ(ほんの少しだけですけど)。
3年後の1916年には、第一詩集「月に吠える」を自費出版で刊行、森鴎外の絶賛を受け詩壇の寵児となるのです。やっぱり、才能があったんですねぇ。代表作は「月に吠える」の他には「青猫」「純情小曲集」など。

自身は学校には縁遠い生活でしたが、1934年に明治大学文芸科講師に、詩の講義を行うように。いやぁ、すごいよね、大逆転。その後も作品を発表するも、徐々に体調が悪くなり1942年には明治大学講師を辞任、そして76年前の本日5月11日に急性肺炎で55歳の生涯を閉じるのでした。わ、若いなぁ。合掌。

月に吠える

読んだことのない方は是非!著作権が消滅しているので電子書籍であれば無料で読むことができますよ。僕もダウンロードしましたよ。

表現者つながりで

本日5月11日の誕生日は、コピーライターの土屋耕一さん。僕の大好きなクリエーターです。彼の名前を知らない人でも世の中に広がっていった沢山のキャッチコピーは知っているはず!
例えば、
資生堂「君のひとみは10000ボルト」や「A面で恋をして」など。
いやぁ、この人がいなかったら日本の広告業界は違ったものになっていたんだろうなぁ、としみじみ思いますよ。はい。

土屋耕一のことばの遊び場。

そんなこんなで、今日は他にもこんな日でしたよ。そして、昨年は「ご当地キャラの日」を紹介しました。

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