金シャチの日
名古屋城の金シャチは、北側が雄で南側が雌だと公式に発表されています。高さや重さを比べると、少し雄のほうが大きめ。以上、プチ情報でした。8月22は名古屋市の市章「まるはち」と、22が左右のしゃちほこに見えるってことで金シャチの日に制定されています。制定したのは、名古屋市内で鍼灸接骨院を経営する川村芳彦氏とのこと。名古屋に来たら、一度は名古屋城を見てみやぁせ。
金シャチは大名たちの流行が影響?
名古屋城が竣工したのは江戸時代、1612年のこと。豊臣政権に陰りがみえて徳川が勢力を強めたことで、それまでの築城制限が力を失った状態に。天守を建築するブームが起こり、金シャチをあげる城を築いた大名がいくつかいたそうです。なので、金シャチは名古屋城だけではありません。が、1615年には徳川政権によって築城や天守建築が禁止され、金シャチをあげた天守建築ブームが終焉したのでしょう。どんだけバブリーな流行やねん。
3度生まれ変わった金シャチ
名古屋城の竣工当時の金シャチには、約215kgの金を使用。今なら『ミニオンズ』の怪盗グル―に狙われそうですね!ところでミニオンズってなんで悪をリーダーにしたいんでしょうね?
スミマセン、話を戻します。竣工当時はまばゆい輝きを放った金シャチも、藩政が悪化するにつれ、金の純度が下げられることに。3度にわたり徐々に純度を下げたらしく、最後は輝きがけっこう鈍かったそう。その後、盗難防止やカラス除けのために金網を金シャチに設置。輝きの鈍さも「いや~金網があるからしゃーないね」とカムフラージュした説があるようです。昭和の戦災で城が焼失したのち、今では綺麗に建て直されて再び金シャチが輝きを放っています。
名古屋とタモリさんの和解?
少し前にNHK番組『ブラタモリ』で名古屋が特集されました。名古屋では放送前からざわついてまして「あの名古屋嫌いと噂のタモリさんが!?」と湧いたのです。なぜそうなったのか?タモリさんと名古屋の関係性について、勝手に考察してみます。
発端はおそらく、タモリさんお得意の方言トーク、名古屋弁&エビフライいじりから。
→五輪候補地の選考に外れ、世間の流れで大きな田舎とか、名古屋嬢ブサイクとか言われる。
→なぜかタモリさんが「名古屋ダサい」的な考えを広めたと思われてしまう。
→2000年代は名古屋が盛況でダサい的コメントが落ち着く。名古屋飯が東京進出したりも?
→最近、名古屋いじりの雰囲気がなんだか復活?
→やっぱりタモリさんのせい!?ムードに。
→タモリさんは名古屋が嫌いなんだと悲観。
こんな感じでしょうか。タモリさんは、とばっちりです。番組内ではしっかりと歴史的な角度からの名古屋紹介がされていて、名古屋人としては名古屋飯など表面的な文化ではない部分を見せることができて嬉しかったです。ありがとうございました。
今日の誕生日も運命の導きか?
はい、狙ったわけでなく、 タモリさん、今日は金シャチの日なんですよ~!また愛のある方言トークで名古屋いじってくださいね。今日はほかにもこんな日です。
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早く名古屋の載った本が出ないかな。