黄金糖の日
キラキラに輝く黄金・・・だったらいんですが、今日は黄金色の飴、黄金糖の日です。「0510」を「おー(0)ごん(5)とう(10)」と読んで、株式会社黄金糖が記念日に制定、日本記念日協会の認定を受けています。会社名が黄金糖って、いさぎよくて素敵ですね。せっかくなので今日は黄金糖の歴史など調べてみました~。
産声をあげたのは大正時代
黄金糖が最初におぎゃー!と生まれたのは、大正12年のこと。でもその前に、1919年に瀬戸口伊勢松がつくった金銀糖がはじまり。砂糖と水飴だけでつくった金色の飴だったそうです。というか、形と名前が違うだけでもはや黄金糖はこのとき出来上がっていたわけですね。最初は宮崎県で売り出したみたいです。その後、1923年(大正12年)に大阪で商店を創業させたときに「黄金糖」という名前になって、現在と同じく四角柱のようなつるんとした形になりました。
戦時中は一時休業に…
黄金糖の材料は、砂糖と水飴です。戦時中はただでさえ食糧難、材料も手に入らず1944年から休業に。空襲で工場や自宅が全て焼けてしまい、存続の危機に立たされます。が、黄金糖はないかと望む人々の声を聞き、2代目が奮闘。苦心して材料をかき集め、1946年から再開したそうです。工場も自宅もなかったのに、すごい。『海賊と呼ばれた男』もそうでしたが、この時代に生きた方はゼロから、むしろマイナスからのスタートであることが多い中でバイタリティがすごいなと。そんなこんなで黄金糖は今でも香料・着色料、製法も昔のままの素朴な味わいで世界から愛されています。キラリ。あ、これ黄金糖が光ったとこです。
黄金糖の中に入りたい人々
5月10日が記念日になったのはまだ2016年と最近のことで、去年は黄金糖の公式Twitterアカウントが「黄金糖の中に入りたい人はどうぞ♪」と黄金糖がアップで写ったきれいな画像をツイートして賑わっていました。公式さんは福ちゃんを中に入れてましたが、他のいろんな企業アカウントがロゴやキャラクタを入れたり、個人でもイラストを中に入れたりして楽しみ、黄金糖が愛されていることを感じた日になったと思います。さて、今年の公式さんは、なんとつぶやくんでしょうね。
ちなみに黄金糖とは少し違いますが、子供の頃、家のフライパンで飴を作ったことはありますよ。白糖と水をフライパンで煮詰めて、黄金色になったら火を止めるんですけど、早すぎると固まらないし、遅いと焦げるし。でもオシャなケーキとか、パリパリの飴がのってることありますよね。持って帰るのに苦労する高さのやつとか。それがやってみたかったんですが、キレイに固まっても分厚すぎたりしてオシャなケーキにのってるやつとは雲泥の差でした。。私は自分で作るより、おとなしく黄金糖食べようと思います。
今日の誕生日はこのお方
今日は脚本家の橋田壽賀子さんが誕生日です。橋田先生の家族ドラマ、絶妙ですよね。『渡る世間は鬼ばかり』、子供心に「せちがらい世の中だな」とか思いながら見てました。まさに飴とか舐めながらね。
今日はほかにもこんな日です。
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