ル・マンの日
24時間、戦えますか?1人で戦ったらダメですよ!フランスのル・マンという地で、毎年、自動車とオートバイの24時間耐久レースが行われており、第1回ル・マン24時間耐久レースが行われたのが1923年の今日であることから記念日だと言われているようです。北海道テレビの番組『水曜どうでしょう』で数日かけて自動車を運転しつづけヨーロッパ21か国を制覇しようとしたことがありましたが、4人で運転交代して夜はホテルで寝ても相当辛そうですよ。交代とはいえ、24時間運転ってどんな過酷なレースよ。
24時間耐久レースってどんなもの?
世界三大レースのひとつに数えられており、世界の名だたる自動車メーカーがプライドをかけて出場。フランスの公道を走り、24時間、自動車やドライバーの耐久性が試される過酷なレースです。各メーカーは有力ドライバーと少数精鋭のメカニックを集めてチームを組み、万全を期してレースに挑戦。
・1台につきドライバーは3人まで
・連続6時間の間に4時間以内しか運転できない
というルールがあるようで、最低でも2人で交代しながら24時間を運転。24時間2人でドライブするわけじゃなくて、時間がきたらピットインしてガソリン補給や自動車メンテナンスをする間に交代ですよ。え、当たり前?ちなみに1人あたりの運転時間制限が出来る前は、「1人で24時間運転して優勝」という偉業を成し遂げ・・・る直前までいった、伝説のドライバーがいました。ピエール・ルヴェーという方です。
伝説の男ピエール・ルヴェー
1952年ル・マンにたった1人で出場して23時間ほどトップで走り続け、あと一歩で優勝!というところでギアを入れ間違えたようで、エンジンが故障してリタイア。疲労がたまっていたんでしょう。ルヴェーさんはフランスのレーシングドライバーとしてだけでなく、アイスホッケーではフランス代表として試合に出場したり、テニスやヨットも相当な腕前だったそうです。第1回ル・マンを観てずっと出場を希望しており、何度か出場していたみたいですね。1952年の活躍を見ていたメルセデス・ベンツのチーム監督が彼をチームに引き入れて、1955年ル・マンに出場することになり、悲劇が起こります。。
1955年に起きた大事故と悲劇
この年、ルヴェーさんはメルセデス・ベンツのドライバーとして、もちろん1人じゃなく交代で運転していました。一体、この年に何が起きたんでしょう。
1955年6月11日18時28分、トップを走っていたジャガーのマイク・ホーソーンが周回遅れのオースチン・ヒーレーを抜いた直後に急減速してピットインした。後続オースチン・ヒーレーのドライバー、ランス・マクリンが追突を避けようと進路変更したところへメルセデスを運転するピエール・ルヴェーが避けきれずに衝突し乗り上げ、空中へ飛び上がった。WikiPediaより
空中へ飛び上がった車はスタンドの壁にぶつかってバラバラになり炎上。エンジンとサスペンションが飛び上がった勢いのまま観客席にいってしまい、死亡者86名、重軽傷者が約200名の大事故になったそうです。ルヴェーさんは助かりませんでしたが、コックピットで休憩していた交代のドライバーは無事。でも一部始終を目の当たりにしているので、精神的ショックから二度とル・マンに出場しませんでした。トップを走っていた自動車の急減速ピットインはルール違反ではなく、ちゃんと規定以内の距離から減速しており、追い抜かれた車が慌てふためいて近くを走っていたルヴェーさんが避けられずに起きてしまったんですね。オートレース、一歩間違えると大事故になるのが怖いです。。ご冥福をお祈りします。
今日の誕生日は有名な漫画家
今日は漫画家のモンキー・パンチさんが誕生日です。ルパン3世も車がよく似合いますが、あんまり1人で運転し続けたら危険ですよ。不二子ちゃんとかね。
今日はほかにもこんな日です。
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