5月19日はボクシングの日


ボクシングの日

ワンツー・ボスッ!はい、本日5月19日は「ボクシングの日」です。1952年5月19日に白井義男さんが日本人として初めてのボクシング世界王者になったのを記念して、日本プロボクシング協会が制定しましたよ。第二次世界大戦の終戦のショックに沈む日本人に希望の光を灯したと言われています。

白井義男さんってどんな人?

白井義男さんは1923年生まれ、東京都(当時は東京市)荒川区出身のプロボクサー。小学6年生の時、夜祭りに行った時に余興で行ったカンガルーとの試合に負けてボクシングにのめり込んだそうです。え?これウィキペディア情報ですが、カンガルーとの試合を夜祭りでやってたの?すげーな、昭和初期の夜祭りは。
プロデビューは1943年、太平洋戦争の真っ只中です。成績は素晴らしくデビュー以来8戦全勝、しかし、時代も時代、召集されて海軍へ。整備士として終戦を迎えたそうです。とはいえ、全然に駆り出されなくてよかったですね。
復帰後は海軍時代の整備士としての仕事が激しかったのか、腰痛となり引退寸前に追い込まれたとか。わかりますよ、腰の痛みは、僕も結構なガラスの腰ですからね。

世界フライ級王座へ

しかし、運命は彼を見捨てなかったんですね。その頃にジムに出入りをしていたアルビン・R・カーン氏に見出され、彼の全面的な支援によって白井さんの才能は開花していきます。このカーン氏、GHQ職員で生物学者だそう。まさに昨日の敵は今日の友、ってやつですよね。カーン氏はボクシングの経験はなかったものの、博士としての専門的な知識を活かした科学的トレーニングを白井さんに施していきます。
そして防御中心の「打たせないで打つ」テクニカルなスタイルに矯正した白井さんは、日本フライ級王座、日本バンタム級王座、を獲得。ついに、1952年5月19日に世界フライ級王座に挑戦をするのです。そして、15回を戦い抜き判定勝ちで王座を獲得したのでした。

5月19日の誕生日は

さて、ボクシングつながりってことで、5月19日の誕生日は俳優の安藤政信さんです。彼のデビュー作は言わずと知れた「キッズ・リターン」世界の北野武監督作品です。作品では素晴らしい演技でこの年の映画賞を総なめにしました。今でも存在感すごいですよねえ。
「キッズ・リターン」の最後の試合のシーン、安藤さんがダウンする場面があるのですが、あれは演技ではなく本当にダウンしたそう。その時に鼻が曲がってしまって、ショックで泣いてしまったとか。まぁ、そりゃショックだわ。
他にも、俳優の神木隆之介さん、ハライチの澤部佑さんも誕生日。あ、女子プロゴルファーの松森彩夏さんもですよ。今週は「中京テレビ・ブリヂストンレディス」がんばれー!
他にも今日はこんな日でしたよ。

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5月18日は18リットル缶の日


18リットル缶の日

今日は「5(5月)ガロンから18(18日)リットル缶へ」統一されたことを記念に全国18リットル缶工業組合連合会が制定した記念日です。世の中にはいろんな組合がある・・!18リットル缶は以前は5ガロン缶と呼ばれていたんですね。あ、日本記念日協会にも認定されていますよ。

国によっても違う「ガロン」

ガロンとは液体の体積を表す単位で、リットル換算するとこのくらいです。
英国・カナダでは1ガロン=約4.546リットル<
米国では1ガロン=約3.785リットル
国で違うって不便!貿易したら問題になるパターンですよ。ヘイ、ユー!1ガロンっていったのに少ないじゃないか!みたいな。いや、そもそも5ガロン缶が主流だとしたら、英国・カナダと米国の5ガロン缶はけっこう大きさが違いますよね。そこんとこ、どうしていたんだろう。液体のやり取りはなかったのかなぁ。ちなみに日本は、米国と同じガロンだったそうです。

なぜ5ガロン缶だったのか

5ガロン缶と呼ばれる前は、一斗缶だったそうです。量が一斗だったから。その前は、石油缶と呼ばれていました。が、そもそも一斗缶だったのはなぜでしょう。もっと大きい缶のほうが、一度にたくさん運べるのでは。製造の限界?いろいろ考えましたが、理由は単純で人が持ち運べる最大数だからのようです。それ以上持てる人もいるかもしれませんが、まぁ平均値ってことでしょうね。たくさん持てるぞーって方は、ぜひ18リットル缶を積み上げてください。大丈夫です、スチールで丈夫なので10段以上積み重ねOKですからー!力持ちアピールにぜひ。やらないか。

リットルという単位が生まれたのはいつ?

どこを最初とするか難しいところですが。リットルという言葉は、1795年にあったようです。でも今とちょっと数値が違ったのかな?そこから紆余曲折を経て・・・(すみません、調べたけどカタカナ多くて難しかったです)、1964年に今のリットルという単位になったようです。日本の一斗缶が5ガロン缶と呼ばれるようになったのはどうやら戦後のようで、だから米国の影響を受けたんですね。で、徐々にリットル換算する企業も出てきて大混乱に陥ったんでしょうね。。単位の統一って大事ですよね。そこが食い違って伝わらないとイライラしそうですよね。組合の中で相談して統一されたんでしょうかねぇ。何にしろ、世の中からイライラが1つでも減って何よりです。

今日の誕生日はパルムの方

パルムって、棒つきアイスのことです。渋い俳優さん、誰だかお分かりですか?今日は、寺尾聡さんが誕生日です。最初にCMをみたとき「なんで?なんで敢えて、その年代の俳優さん?なんで寺尾聡さん?誰向けの商品?」とナンデ?だらけでしたが、まんまと記憶に残っています。ドラマではダンディーな役柄が多いのに、パルムを美味しそうに頬張る姿がなんとも気になってみてしまうんですよね。こちらも世の中からイライラが1つ減りそうなCM、もとい商品ですね。
今日はほかにもこんな日です。

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5月17日はお茶漬けの日

17日

お茶漬けの日

サラサラサラ、とあっという間に文章が書ければいいのにと。ああ、違う、つい心の声が。サラサラサラ、ときたらお茶漬けです。うちの朝ごはん、週に一度くらいはお茶漬けですよ。5月17日は「お茶漬けの日」です。株式会社永谷園が制定しました。
はて、5月17日の理由はなんでしょう?それは、永谷宗七郎(のちに永谷宗円)さんの偉業をたたえ、彼の命日である1778年5月17日からこの日に決めたそうです。ふーん、へぇー、誰ですか?永谷宗七郎さん。

誰でしょう?永谷宗七郎

永谷園の創業者かな?と思いましたが違ったようです。創業者のご先祖様で、煎茶の普及に大きな功績を残した方。今、僕たちがゴクゴク飲んでいる緑色の煎茶は彼がいたからこそ、美味しく飲めるようになったんですよ。なんと!
永谷宗七郎さんが生きていた時代の、1681年から1778年は江戸時代中期。その頃の庶民が飲むお茶は色は赤黒く味も粗末な煎じ茶だったそうです。で、宗七郎さん「もっと美味しいお茶を」ってことで、15年もの歳月をかけて製茶法を確立、緑の綺麗な煎茶を完成させたのです。この「青製煎茶製法」で作られたお茶は、瞬く間に評判となり、宗七郎さんの住んでいた宇治から名を取り「宇治の煎茶」は日本を代表するお茶になりました。
偉いのは、この製法を独占することなく、惜しみなく皆に伝えたこと。おかげで「宇治製煎茶」は日本中に広がっていきましたとさ。拍手。

では永谷園の創業者は?

そんな宗七郎さんが作り出したお茶を永谷家の人々は代々と販売。しかし、10代目の永谷嘉男さんの時代に太平洋戦争が起こり実家が消失してしまいます。嘉男さんは再建を目指し「江戸風味お茶づけ海苔」を開発販売。大ヒット商品を生み出しましたよ。すごいね、永谷家。
商品開発力もすごいですが、経営面でもアイデアマンだったようで1979年に「ぶらぶら社員制度」ってのをはじめて日本中の話題に。これは「2年間で結果を出すこと」を条件に(必ずヒットする新製品を出しやがれ!ってことですね、怖い。)経費も無制限、出社にしなくてよし、とびっくりするほど自由な制度。楽しそうでもありますが、なかなか死ぬほどのプレッシャーが掛かるドキドキする制度であります。ぶらぶらよりドキドキとか、ハラハラでしょうね、ホント。
しかし、この特命を受けた能登原隆史さんという企画部の社員。日本中、世界中を食べ歩き、2年後に大ヒット商品「麻婆春雨」を世に送り出します。素晴らしい!
「♫永谷園の麻婆春雨♩」和田アキ子が歌ってましたよねぇ。

5月17日の誕生日

本日の誕生日は、V6・イノッチこと井ノ原快彦さん。毎日朝のニュース番組お疲れ様です。忙しい朝の朝ごはん、我が家と同じくお茶漬けがオススメですよ。サラサラと。
他にも今日はこんな日でしたよ。

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