3月25日はドラマチック・デー


ドラマチック・デー

1956年のこの日のプロ野球戦は中日vs巨人。3-0で中日がリードしたまま迎えた9回裏。「1塁、2塁、3塁にランナーがいる。ここで一発大きく当たれば…!」代打で樋笠一夫が登場、代打では史上初の満塁逆転サヨナラホームランを打ち、見事に逆転勝利。まさに「メイク・ドラマ」ですね。ちなみにこの翌月にも、樋笠選手は同じく代打で満塁逆転サヨナラホームランを打ってチームを勝利に導いています。

樋笠さんがプロ野球界に入った時代

樋笠さんは1920年~2007年まで生き、戦争を体験された方でした。中学時代は野球をやっていたものの、卒業後は陸軍騎兵学校へ入り陸軍へ入隊。戦後は社会人野球のチームに所属したり、高校でも教鞭をとりながら監督をつとめたようです。そんなこんなで月日が流れて樋笠さん29歳、1949年の暮れ。原爆によって焼け野原になった広島の復興もこめて、広島のプロ野球球団・広島カープが発足することになり、樋笠選手も誘いを受けて1950年に入りました。御年30歳のことです。

カープからジャイアンツへ移籍

樋笠さんはカープとの契約1年が終了したところで、もっと続けて欲しいという広島の契約更新を断ります。で、熱烈にアプローチされていた読売ジャイアンツへ移籍。でもこのとき、樋笠さんはカープの4番打者だったようで、大事な主力選手のひとり。「広島をうらぎるのかー!」とファンが怒り、騒ぎを落ち着かせるためにも、巨人が樋笠さんとのトレードで別の秘蔵っ子を広島へ出したことで鎮静化。実際、樋笠さんはなぜカープを出たのかな~と調べたところ、カープの発足当時は選手にお給料が渡せず苦労していたみたいですね。他は民間企業が経営してますが、カープは市民球団ですからね。
樋笠さんはその後、ジャイアンツで活躍して1957年に引退。他チームのコーチを務めたのち、広告会社に入社して定年まで勤め、定年後も別会社にて勤められたようです。

広島カープのその後

さて、運営が苦しかった広島カープはどうなっていったのか。1968年に現マツダの東洋工業の社長が筆頭株主となり、球団名は「広島東洋カープ」となり現在に至ります。今は本拠地のドーム名も、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島。でも変わらず市民球団なんですよね。カープグッズも最近はとっても増えて、ファンに愛される球団として盛り上がっていますね。広島出身じゃなくても、なんとなく応援したくなってしまうチームです。なんかカープの紹介になっちゃいましたが、ドラマチック・デーは中日・巨人戦の話ですよ。

今日の誕生日は歌が上手な人

今日は歌手のはいだしょうこさんが誕生日。はいださんは歌のお姉さんでもありましたが、絵描き歌は見ものですね、主に絵が。それから、MAXのナナさんも誕生日です。ご結婚も、おめでとうございます。
今日はほかにもこんな日です。

<y>

<SPONSORD LINK>


写真で見る日本プロ野球の歴史 セ・リーグ編―1950ー2014 プロ野球80周年企画 完全保存 (B・B MOOK 1086)


スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です