8月24日はポンペイ最後の日


ポンペイ最後の日

どんな人が、どんな暮らしをしたのかわからない都市の遺跡。西暦79年に消滅したポンペイという街について、高校の世界史の授業で先生がそう教えてくれました。西暦79年の今日は、ポンペイから約10kmという近距離の火山で噴火が起こり、さらに津波も街を襲ったことで、1日も経たないうちに大勢の人が命を落とした日です。ご冥福をお祈りします。

消滅した都市ポンペイの発見

ポンペイについては長い間、都市の位置ですらわかっていませんでした。1700年代半ばに、ブドウ畑を耕していた人が一部を発見して、1748年にナポリ王室ブルボン家が発掘作業をしたことでようやく判明。今では、イタリアのナポリ付近だったとわかっています。1800年代初めには当時の道も発掘されており、ぼんやりと街の様子がわかっていたとか。約1700年前に蓄積された火山灰をコツコツと取り除いていくのは、想像を絶する根気が必要だったのではないでしょうか。

なぜ自然災害による消滅とわかったか?

火山灰で街がおそらく埋まっていたのでしょうから、まぁ自然災害も起きたことは想像できたとして、街に人がいなくなったあと噴火が起きた可能性だってあるのです。なぜ噴火の日が最後だと考えられているのでしょうか。
考古学者たちはポンペイ遺跡の発掘を続けるうちに、不思議な空洞を発見します。これは何の形だろう、と石膏を流し込んで空洞を立体物として再現してみると・・・それは横たわる人々の形だったのです。
子供を抱く大人、
逃げ惑う犬、
抱き合う恋人、、

おそらく“ポンペイ”で探すとそんな石膏の画像が出てくるはず。切ない。遺跡が火山灰に覆われていたこと、人々の様子なども含め、自然災害によって消滅したんだということが浮かび上がったのでしょう。ほかにも津波が同時に起きたことで地形が変わるほどの自然災害に遭い、逃げ場を失ったとされています。2014年に公開されたハリウッド映画『ポンペイ』、結末が気になります。

遺跡に似合う曲をつくった人

1872年の今日は作曲家の滝廉太郎さんが誕生した日です。『荒城の月』、なんだかポンペイにも似合いそう。1902年には歴史学者のフェルナン・ブローデルという方が誕生。この方はポンペイについてどう考えられていたんでしょうね。今日は他にもこんな日です。

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8月23日は油の日


油の日

本日は油の事を考えよう、ってことで8月23日は「油の日」なんですよ。京都府大山崎町にある離宮八幡宮と、油脂事業を展開するカネダ株式会社が共同で制定しました。油事業を展開する会社が制定するのはわかるのですが、なぜ神社が?と思いますよね。はい、僕も思いましたよ。しかし、そこには日本の油の歴史が深く関わっていたのでした。

なぜ8月23日が「油の日」?

そもそも今日のこの日が「油の日」となったのは、貞観元年(859年)8月23日に宇佐八幡宮が大山崎に遷宮されたから、だそう。ん?もういきなり何のことかがわかりませんよね。僕も何が何だか、よくわからんのですよ。

どうやら、現在の「離宮八幡宮」は、九州にある「宇佐八幡宮」だったのです。それが、時の天皇・清和天皇が神のお告げをお聞きになり、国家安泰のために京都へ遷宮することになりました。その場所が、大山崎で、当初は「石清水八幡宮」という名称だったのですが、この場所・大山崎は嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地であったため、「離宮八幡宮」に改称されたそう。なるほどね。

日本の油はエゴマから

で、なぜ「離宮八幡宮」が油との深い関係があるかと言えば、ここの神官が神示を受け搾油器を発明したんだそうで。その「長木」と名付けられた搾油器で荏胡麻(えごま)油の製造が始まったんですよ。というわけで、離宮八幡宮が日本の製油発祥地なんですって。知らなかった。。製油って商人とかが発明したのかと思いきや、神の啓示で神社の神官が作ったんですよ、これ、結構な衝撃的事実ですよね。
そして、離宮八幡宮は油の専売特許を許されて栄えていくんです。当時は、離宮八幡宮の許可がなければ油を扱うことができなかったそうですよ。神社が特許って、なんか違和感ありますけどねぇ。離宮八幡宮のエゴマ油の販売は、江戸時代までは順調だったのですが、菜種油が大量に生産されるようになると、徐々に衰退していったそうです。

岡江久美子・自称36歳。

ということで、本日の誕生日は女優の岡江久美子さん。岡江さんといえば「はなまるマーケット」でしたよね。もうずいぶん前に終わっちゃったけどね。
そして岡江さん、なんと、本日で61歳ですって!若く見えるよなぁ。って、自称36歳だそうで、実は彼女、エゴマ油とも関連が深いそうですよ。調べてびっくりしました。
太田油脂株式会社で(本日の油の日を制定したカネダ株式会社さんでなくて、なんだか申し訳ないですけども、、)エゴマオイルの魅力を紹介しております。このブロックの題名となっている「自称36歳」は脳内年齢のことだそう(でも、61歳にはとても見えませんよ!)。エゴマオイル、健康にも良さそうですよねぇ。いやぁ、日本の歴史って改めて素晴らしいですね。

はい、ほかにも本日はこんな日でしたよー。

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8月22日は金シャチの日


金シャチの日

名古屋城の金シャチは、北側が雄で南側が雌だと公式に発表されています。高さや重さを比べると、少し雄のほうが大きめ。以上、プチ情報でした。8月22は名古屋市の市章「まるはち」と、22が左右のしゃちほこに見えるってことで金シャチの日に制定されています。制定したのは、名古屋市内で鍼灸接骨院を経営する川村芳彦氏とのこと。名古屋に来たら、一度は名古屋城を見てみやぁせ。

金シャチは大名たちの流行が影響?

名古屋城が竣工したのは江戸時代、1612年のこと。豊臣政権に陰りがみえて徳川が勢力を強めたことで、それまでの築城制限が力を失った状態に。天守を建築するブームが起こり、金シャチをあげる城を築いた大名がいくつかいたそうです。なので、金シャチは名古屋城だけではありません。が、1615年には徳川政権によって築城や天守建築が禁止され、金シャチをあげた天守建築ブームが終焉したのでしょう。どんだけバブリーな流行やねん。

3度生まれ変わった金シャチ

名古屋城の竣工当時の金シャチには、約215kgの金を使用。今なら『ミニオンズ』の怪盗グル―に狙われそうですね!ところでミニオンズってなんで悪をリーダーにしたいんでしょうね?
スミマセン、話を戻します。竣工当時はまばゆい輝きを放った金シャチも、藩政が悪化するにつれ、金の純度が下げられることに。3度にわたり徐々に純度を下げたらしく、最後は輝きがけっこう鈍かったそう。その後、盗難防止やカラス除けのために金網を金シャチに設置。輝きの鈍さも「いや~金網があるからしゃーないね」とカムフラージュした説があるようです。昭和の戦災で城が焼失したのち、今では綺麗に建て直されて再び金シャチが輝きを放っています。

名古屋とタモリさんの和解?

少し前にNHK番組『ブラタモリ』で名古屋が特集されました。名古屋では放送前からざわついてまして「あの名古屋嫌いと噂のタモリさんが!?」と湧いたのです。なぜそうなったのか?タモリさんと名古屋の関係性について、勝手に考察してみます。

発端はおそらく、タモリさんお得意の方言トーク、名古屋弁&エビフライいじりから。
→五輪候補地の選考に外れ、世間の流れで大きな田舎とか、名古屋嬢ブサイクとか言われる。
→なぜかタモリさんが「名古屋ダサい」的な考えを広めたと思われてしまう。
→2000年代は名古屋が盛況でダサい的コメントが落ち着く。名古屋飯が東京進出したりも?
→最近、名古屋いじりの雰囲気がなんだか復活?
→やっぱりタモリさんのせい!?ムードに。
→タモリさんは名古屋が嫌いなんだと悲観。

こんな感じでしょうか。タモリさんは、とばっちりです。番組内ではしっかりと歴史的な角度からの名古屋紹介がされていて、名古屋人としては名古屋飯など表面的な文化ではない部分を見せることができて嬉しかったです。ありがとうございました。

今日の誕生日も運命の導きか?

はい、狙ったわけでなく、 タモリさん、今日は金シャチの日なんですよ~!また愛のある方言トークで名古屋いじってくださいね。今日はほかにもこんな日です。

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早く名古屋の載った本が出ないかな。

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